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1985年08月07日(水) | |||||
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バーンスタインがECユースオーケストラを率いて、原爆投下の日とその翌日に行われた演奏会。 バーンスタインは自作『カディッシュ』やベートーヴェンの『レオノーレ序曲第3番』を指揮、広島出身でバーンスタインの愛弟子大植英次がモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番(ヴァイオリン;五島みどり!)ほかを演奏しました。 演奏会当日はとてつもなく暑い日でしたが、原爆投下のその日もとても暑かったと聞いています。音楽を通じて平和を訴えるバーンスタイン の熱演、それはまさに「祈り」そのものでした。 |
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1991年10月27日(日) | |||||
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民主化されたチェコに帰って来たクーベリック、「プラハの春」で奇跡的にチェコフィルとクーベリックのコンビで、『わが祖国』が演奏されました。そして奇跡はもう一度起こったのです。 そう、この夢のコンビが日本を訪れる! 演奏の素晴らしさはもちろんのこと、大阪の観客のマナーの素晴らしさにも感動しました。演奏が終わっても、嵐のような拍手は鳴り止みません。 楽員はすべてステージから去ったあとも、聴衆はホールから去ろうともしません。僕も無性に拍手をしていたので記憶は定かではないですが、10分位経過して、楽屋からクーベリックが出てきました。 ウォ〜という地響きにも似た歓声と拍手に包まれたのは、言うまでもありません。クーベリックが再び楽屋に戻ったあとは、拍手も止みました。 「お疲れさま、そして有り難うクーベリックさん!」みんなそんな気持ちだったのでしょうね。 僕の人生にとって、決して忘れることのできない演奏会でしょう。 そしてこの演奏会を超える体験は、今後出てこないだろうと確信しています。 |
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1992年03月06日(金) | |||||
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本来はカルロス・クライバーのウィンナワルツのコンサートだったものが、クライバーのキャンセルで、シノポリが代演したコンサート。演奏された曲は未完成とブルックナーの7番、まったくつまらない演奏会であった。 払い戻しも可能であったのだが、今となっては後悔しても始まらない。 しかし貴重な半券がここに残った。指揮者名が訂正された半券など、そう簡単には手に入らないはずだ。 |
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1987年06月08日(月) | |||||
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まずは料金を見てほしい。なんと2,000円!そして指揮者名を見てほしい。 スクロヴァチェフスキー! チケットには書いていないがこの演奏会ではバルトークのヴァイオリン協奏曲が演奏された。 ソリストは五嶋みどり! アメリカ音楽界を支えるジュリアード音楽院だけあって、演奏内容はまったく素晴らしいものだった。演奏されたのはバルトーク以外に、R.シュトラウスの『ドン・ファン』、ストラヴィンスキーの『春の祭典』。 この演奏会前から、スクロヴァチェフスキーのことはVOXの録音などを通じて注目していたのだが、あまりの素晴らしさに驚嘆ものだ。学生オケなんて決して呼べないレベルの高さにも驚かされた。 |
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1991年04月18日(木) | |||||
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このオーケストラ、はるばる南米ベネズエラからやってきた。 現在ではDORIAN社から何枚かCDが出ているが、当時はまったく知られていない(はず)オケだった。B席で2,000円とこれまた破格値のような料金にも関わらず、観客の入りはせいぜい40%程度。 しかし演奏能力は大変なもので、こんなすごいオーケストラが南米にはあるんだと、実感させられた。なにしろ観客数が少ないので、拍手をしても音が小さい。 観客もそれにだんだん気が付きだして、みんな一生懸命拍手をしだした。するとどうだろう、演奏会が終わるころになると、大変大きな拍手の音が聞こえるじゃありませんか!NHKで何度も東京公演の模様を再放送していたが、放送後の視聴者の反応がよかったのかな?この演奏会に行かれた方は、実にラッキーだと思いました。 |
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1988年04月29日 | |||||
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カラヤン最期の来日公演の初日の演奏会。曲はモーツァルトの29番、そして十八番の『悲愴』。カラヤンの姿をナマで見たのは、これが最初で最後。 かっこいいカラヤンが、手を引かれて指揮台にあがる姿は誠に痛々しかった。 聴衆の誰もが、『この公演がカラヤンを見る最後のチャンスかな』と思ったに違いない。しかしながら演奏は素晴らしかった。特に『悲愴』の第3楽章、重量戦車部隊が突き進むが如くの演奏、さすがはベルリンフィルといったところ。3楽章が終わったとき、あちこちから溜め息が聞こえた。 それにしてもこの演奏会のチケット、豪華ですね。おまけにチケットホルダーまで特製です。10年前の演奏会ですが、27,000円はちと高すぎますせん? |
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1983年09月23日(金) | |||||
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ボリショイバレエを始めてみたのがこの時ですが、この演奏会の直前、大変なことが起こったのです。それは旧ソ連軍による大韓航空撃墜事件。 演奏会場周辺を、右翼の街宣車、韓国の団体が取り囲み、それらの周りに機動隊が取り囲むという、大変な状況で演奏会は行われました。 ホールに入るときは厳重な手荷物チェック、ホールないには制服私服警官が警備に当たるといった状態でした。しかし無事に演奏会はおわりました。 右翼のメンバーが僕たちに向かって「お前ら、国賊じゃ!」って言葉が、いまだに忘れられません。添付したビラは、韓国の青年組織が会場近くで配っていたものです。演奏会をいろいろ聞いていると、こんなこともあるんです。 |
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1989年02月25日 | |||||
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バルセロナの音楽堂(パラウ デ ラ ムシカ)で行われた、ラファエルフリューベック デ=ブルゴス指揮、バルセロナ交響楽団の演奏会のチケットがこれ。 右端が千切ってあるのは、会場に入ったってしるし。 |
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番外編 | |||||
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管理者註:宛て先や住所などはボカシを入れています。 | |||||
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ほとんど読めない手紙、これ誰が書いたと思います? マーラーそしてシベリウスで独特の世界を築くセーゲルスタームからの手紙です。手紙の冒頭に「壽」って書いてありますが、いったい誰が教えたのでしょう?手紙の表を見るとアラなんと、セーゲルスタームのデッカイ後ろ姿が!!! |
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特別展1に引き続きご登場の、香港在住のばってんさんはホームページを開設されております。 | ||
〇ばってんさんのホームページ「ばってん箱」へ | ||
−ばってんさん、またまたありがとうございましたm(__)m |
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